世木神社について

世木神社のご祭神


天牟羅雲命(あめのむらくものみこと)

天牟羅雲命は天水の政事を担当される水神様で、大変な力を持っております。伊勢神宮においても、上御井神社、下御井神社にこの神様が神水の守護神として祀られています。

菅原道真公(すがわらのみちざねこう)

学問の神様として全国で敬われています。
和歌に秀でた文人としての一面があり、その事から近代においては受験の神様として、ご利益があるとされています。
しかし、本来は朝敵として不遇な一生を終えたことから、その祟りに恐れをなした人々が天変地異などの災いを収める為に神として奉ったのが始まりとされています。

宇迦之御魂大神(うかのみたまのかみ)

ウカとは穀物稲、食物の意味で稲の神様です。イネがイナに変化し、お稲荷様となったようです。世木神社の境内には、『正一位三吉稲荷大明神』として祭られています。この正一位とは最上級の位であり、『御利益が大きい』という事でもありまして、繁栄、商売繁盛、などの御神徳があります。 

大国主命(おおくにぬしのみこと) ー 穀物の神、商工業の神、商売繁盛

大国主命 (おおくにぬしのみこと)・大黒様(だいこくさま) はだいこくさまと申して慕われている神様です。
国土を開拓され、国づくり、村づくりに御苦心し農耕・漁業をすすめ殖産の法を教え、人々の生活の基礎を固めて下さいました。
国造り、経営、縁結び(男女の縁だけではなく、人々の縁、仕事の縁などお互いの発展につながる為の「むすび」)、医薬の神、病気平癒など。

度会春彦神主(わたらいはるひこ)--白太夫--

 神宮に奉仕していた神主一族で、その歴史は古く伝える所によると現在の内宮が鎮座する以前より伊勢の地にすでにいたと言われ、宮川周辺(現在の度会郡)を中心に住んでいました。
渡会氏は外宮の豊受皇大御神に奉仕していました。
この豊受大御神は雄略天皇の時に丹後の地より勧請されたといわれ、それ以前は渡会氏の氏神を祀っていたのではないかと言われています。
ですから、外宮の別称が「渡會宮」と言われているのもその名残りとされています。
度会神主は外宮の禰宜でありました。若い頃から頭髪が真白であった事から「白太夫」と呼ばれていました。
度会春彦氏と菅原道真公(菅公)の関係は、菅公が生まれる以前のお話になります。
菅公の父、菅原の是善公は長男・次男ともに幼くして亡くなった為に世嗣がいませんでした。そこで、侍臣の島田忠臣に命じ、伊勢神宮外宮内宮新神官の度会春彦氏を通じて外宮に祈願し、その御神徳があるとされています。



日本全国の天満宮-天神神社-のご祭神

学問の神、和歌の神、農耕の神、正直・至誠の神、冤罪の神、芸能の神、厄除けの神


御由緒

当社は古より現在地に鎮座し、世木社と称し、外宮禰宜、度会神主の遠祖を奉斎した社である。当地は往宮川の沿岸で、その上流と下流とに堰を設け、その間を関川と称し、付近に河原村、世木村などの村が散在した。
外宮祀官、度会神主の一族がこの地に移住して、家号を世木と号し下の堰辺りに祖神を奉祀して世木社と称した。
当時世木家は地方の権家で住民も世木社を尊敬し、室町時代に世木一族がこの地を去るに及んで、付近住民の産土神としたものと思われる。 
明治4年11月、村社に列せられる。
明治41年4月、度会群の度会氏神社と岩渕町の松木社を合祀する。
明治41年5月、社名を『世木坐度会氏神社』と称す。
大正9年8月、境内社の『菅原神社』『稲荷社』『日吉社』を合祀する。
昭和31年3月、『世木神社』と改称す。